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山田真美 / Mami Yamada

 ◆作家

 ◆日印芸術研究所言語センター長(インド政府認可法人)

 ◆公益財団法人日印協会理事

 ◆お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科博士課程後期在籍

 

1960年 2月27日、国家公務員で関西棋院長野支部長(アマチュア囲碁七段)の父・鈴木寛と、OL生活(出版社秘書室勤務)を辞して家庭に入った母・隆江の長女(第一子)として、長野市に生まれる。

母と生後6ヶ月の私

鏡を相手に「いないいないばあ」を
する2歳の私
1964年 弟が生まれる。
1966年 長野市立城東小学校入学。9歳の夏、初めての短編童話集『のら犬のぼうけん』を執筆、将来は長編小説を書くと周囲に宣言する。
→小5の時に書いた詩はこちらからお読みいただけます。

ピアノの発表会にて、小3の私
1972年 長野市立柳町中学校入学。典型的な“英語大好き少女”。将来は自由自在に英語を使いこなせる人になることを、自分自身に誓う。
→中3の時に書いた修学旅行感想文はこちらからお読みいただけます。

鉄道少年団の仲間達と(左から3人目、黒いバッグを提げ
ているのが中1の私)
1975年 長野県長野西高等学校(前身は明治29年創設の長野高等女学校)全日制普通科入学。生徒会議長、英語劇部長を務める。シェイクスピアに傾倒し、授業中も教科書そっちのけで “King Lear” “Hamlet” “Othello” 等の原典に読み耽る。

文化祭で英語劇“As You Like It”(お気に召すまま)の
男役を演じる高2の私(左後方)。気分はほとんど宝塚
1978年 島崎藤村の『桜の実の熟する時』のイメージに魅了され、明治学院大学入学。経済学部経済学科在学中に、英語通訳、英語バスガイド、劇団スタッフ、雑誌編集、長野県警察本部、日本に上陸して間もないコンピューター関連のマニュアル翻訳、ヒマラヤ遠征隊秘書などのアルバイトを多数経験。1979年、カリフォルニア州サンノゼに短期留学。卒論は『経済学的見地における今日的捕鯨論』。

劇団のアルバイトで、「Dr.スランプあら
れちゃんショー」の司会のお姉さんをす
る私(中央)
1982年 明治学院大学を卒業(経済学士)。単身シドニーに渡り、ニュー・サウス・ウェールズ大学留学。海洋学科に在籍し、指導教官のマッキンタイヤー教授、鯨類学のエキスパート(アレン博士、カークウッド博士)の指導のもと南半球に於けるマッコウクジラの回遊を研究。日本捕鯨の歴史と現状をテーマに教授および院生を対象としたレクチャーも開催。
1983年 帰国。著述家としての活動を開始する。信濃毎日新聞文化欄に『豪イング・マイ・ウェイ』(オーストラリア留学記)を連載。

作家のC.W.ニコルさんから頂いた愛犬(ベア)と私
1983年 日本画家の山田真巳と結婚。奥信濃に書斎を構える。
→山田真巳のホームページはこちら、All Aboutによる作品とエッセイはこちらからご覧いただけます。

媒酌人の駐日オーストラリア大使ニール・カリー卿
ご夫妻と
1985年 米国メンフィス・イン・メイ・インターナショナル・フェスティバル委員会の招聘により渡米。アメリカ東部の25州を取材。帰国後、信濃毎日新聞文化欄に『アメリカ東南部を行く』(インサイド・レポート)を連載。
1985年 長女(LiA)誕生。
→LiAのブログはこちらからご覧いただけます。

生後6ヶ月の娘の初節句を自宅で祝う

週末恒例の子連れパーティー(長野市内に住むアメ
リカ人・イギリス人の友人達と)
1986年 某ファッションビルの「夏のイメージ・ウーマン」に選ばれ、TVコマーシャル等に出演するほか、「女の子のための HOW TO 海外生活」のテーマで数多くのイベントを行なう。

サマーキャンペーン用ポスター(左下の
ウィンド・サーファーも私)
1986〜89年 信濃毎日新聞文化欄に『飯山南善寺日記』(エッセイ)を長期連載。

愛車と私(人口の約半数が山田姓の長野県栄村で)
1986〜87年 テレビ番組『建築探偵』シリーズ(信越放送)にて、建築家の藤森照信氏(東大教授)と共演。

藤森氏と(松本の開智学校にて)
1987年 国際連合公用語英語検定試験A級合格(※A級は'87年時点における同検定の最高レベル)。
1987年 日本文化デザイン会議最年少講師。草柳大蔵氏、芳賀徹氏、ケント・デリカット氏、榎本了壱氏らとトークショーを行なう。

日本文化デザイン会議の閉会式で司会をする、ケント
・デリカット氏と私
1987年 英字新聞 The Mainichi Daily News に能楽紹介の英文コラムを寄稿。
1988年 オーストラリア建国200年祭実行委員会の招聘により、シドニーならびにブリスベンに滞在。現地の高校やロータリークラブにおいて、日本文化紹介の講演を多数行なう。

豪州にて(左よりミック・ヤング大臣、私、娘、マンリー
市長ジョアン・ソーバン氏、AAP通信委員長ハリー・ゴ
ードン氏、ベン・ハンフリー大臣)
1990年 インド外務省の外郭団体であるインド文化交流評議会(I.C.C.R.)の招聘により、インド全土を取材旅行。
※I.C.C.R.は従来「インド文化交流庁」と訳されておりましたが、その後、訳語が「インド文化交流評議会」に統一されました。

タージ・マハールにて
1991年 北米最大の国際祭であるヒューストン・インターナショナル・フェスティバルの、委員会広報官を務める。 

ヒューストン市長キャサリン・ウィットマイヤー氏と
1991年 長男(NASA)誕生。
→NASAが11歳の時に書いたエッセイ(英文)はこちらからお読みいただけます。

長野市の広報誌「広報ながの」で紹介された1歳の
息子と私(写真提供:長野市役所)
1991年 随筆集『南善寺日記』(インターレップス・刊)を上梓。
1992年 バリ・ヒンドゥーの調査研究のため、バリ島に滞在。

バリの友人宅にて
1992〜93年 テレビ番組『ハイテク発見』(信越放送、毎週土曜日放送、全60回シリーズ)のレポーターを務める。
1993年 インド政府観光局アドバイザーとして、信州博覧会'93『インド・ウィーク』をプロデュース。

信州博覧会のためにインドから来日した舞踊団の
メンバーと私(右端)
1993年 テレビ番組『カガミ美術館』(信越放送)のレポーターを務める。
1993年 『吉祥天と行くインドの旅』(インド政府観光局・刊)を上梓。全国の新聞に取り上げられ、複数の大学やカルチャーセンターで、インド研究の副教材として採用される。
1993年 フランス・アルボレソンス社の日本文化紹介CD-ROMテキスト(英文、一部仏文)を執筆。

仕事の合間にパリの街を散策(息子と)
1993〜95年 俳句月刊誌「雉子(きぎす)」に『南方見聞録』を長期連載。
1994年 インド観光省の招聘により、再びインド全土を取材旅行。
1995年 新日本建築家協会主催の文化講演会にて、日本屈指の建築家・池田武邦氏(霞ヶ関ビル、長崎オランダ村ハウステンボス等の設計者)とトークショー。
1995年 『生きて虜囚の辱めを受けず』(清流出版・刊)を翻訳・上梓。



豪州カウラの戦争捕虜収容所跡地にて
1996年 『ブリタニカ国際年鑑1996』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
1996年 論文『屋外広告物の将来―景観との共生』により、総合報道賞二席を受賞。

(クリックで拡大画面へ)
1996年 インド外務省の外郭団体であるインド文化交流評議会(I.C.C.R.)の招聘により、インド留学(デリー大学大学院哲学科)。以後、家族と共に2001年までニューデリー在住。

タージ・マハール前で、なんちゃって家族写真(左より
夫、ペットの梟、娘、息子、私)人形制作・山田真美
1996〜01年 信濃毎日新聞国際面に「国際通信 信州へ・インド編」を長期連載。
1996〜98年 『月刊清流』に「世界の街角から 〜From ニューデリー」を長期連載。
1997年 『ブリタニカ国際年鑑1997』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
1997年 『インド大魔法団』(清流出版・刊)を上梓。



『インド大魔法団』に登場する、インドを代表する魔術
師P.C.ソーカ(ジュニア)氏と、ソーカ邸にて
1997年 月刊『外交フォーラム』にインド関係のコラムを寄稿。
1998年 『ブリタニカ国際年鑑1998』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
1998年 インドを代表する作家・ジャーナリストで、無神論者としても世界的に有名なジョセフ・イダマルク氏より、ケララ州の公用語であるマラヤラム語を学ぶ。
1998年 インド最大のマジック大会「Vismayam '98」(ケララ州トリヴァンドラムにて開催)のゲスト審査員を務める。
1998年 『マンゴーの木』(幻冬舎・刊)を上梓。



『マンゴーの木』に登場する魔術師ゴーピナート・ム
トゥカド氏(前列左から2人目)とその仲間に囲まれて
1999年 『ブリタニカ国際年鑑1999』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
1999年 『夜明けの晩に』執筆準備のためカシミール、ラダックなどヒマラヤ各地を調査旅行。

ヒマラヤのカル・ドング・ラ峠(標高6,180m)にて
1999年〜01年 駐印イスラエル大使館に於いて、ヘブライ大学のシュロミット・ハヤット教授よりヘブライ語を学ぶ。

ハヤット先生(赤い服の女性)を囲んだヘブライ語の
生徒たち
2000年 『ブリタニカ国際年鑑2000』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2000年 9月9日、ウェブサイト「山田真美の世界」を開設。
2000年 初の英語版作品となる“Wheel of Destiny”(Golden Eagle Press・刊)を上梓。



“Wheel of Destiny”出版記念パーティーで、余興のマジ
ックショーをご覧になる出席者の皆さん(前列左端が私)
2000年 インドの天才マジシャン「魔法少女パール」(本名パール・ブンガラ。全米マジシャン連盟SAM大会ジュニア部門2000年チャンピョン)の、日本初マジック公演をプロデュース。

左からパールのお母様、魔法少女パール、私(マジ
ックショーの会場にて)。パールは日本語によるお喋
りマジック(脚本・山田真美)で聴衆を沸かせました
2001年 『ブリタニカ国際年鑑2001』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2001年 日印芸術研究所(インド政府認可法人)言語センター長に就任。

識字率が25%に満たないヒマラヤの奥地(アルナーチ
ャル・プラデーシュ州)の小学生に日本語を教える私
2001年 編集者・芝田暁と出逢う。「後世に残る世界文学」をテーマに二人三脚をスタート。
2001年 「ヒマラヤ仏画セミナー」(主催/日印芸術研究所)を長野・埼玉両県にて開催。
2001年 ニューギニア国営航空の招待により、パプア・ニューギニア各地を訪ねる。

ジャングルの奥地に残された旧帝国陸軍の百式重爆
撃機
2001年 『超特大生放送プラス1スペシャル2001』 (日本テレビ系列)のインド取材に、コーディネーター兼コメンテーターとして同行。
2001年 コラム「『執着しない』『生命は輪廻転生する』二つの教えを守るヒンドゥーの葬儀」が、日本語を学習する外国人の間で最も広く使われている教科書の一つ『トピックによる日本語総合演習 上級用』(スリーエーネットワーク刊)に採録される。
2002年 『ブリタニカ国際年鑑2002』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2002年 初の小説『夜明けの晩に』(上下2巻、400字詰め原稿用紙1,678枚)を幻冬舎より上梓。
※本書は出版から5年後の2007年、独立行政法人国立国語研究所が取り組む「現代の書き言葉を分析するためのデータベースを構築するプロジェクト」のデータベースに採録されました。
 
2002年 小説第2弾『ブラック・アンブレラ』を幻冬舎より上梓。
2002年 ニューギニア国営航空の招待により、再度パプア・ニューギニア各地を訪ねる。

呪術師の住む村にて(中央は友人でTVプロデュー
サーのアラン・ベック氏、左から2人目が私)
2002年〜 日本文化デザインフォーラム(旧・日本文化デザイン会議)会員。
2002年 長編ミステリー小説の取材のため、シドニーを訪ねる。

命綱とヘッドライトを着けてハーバー・ブリッジ登頂
2003年 『ブリタニカ国際年鑑2003』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2003年 初めての英語攻略本『ブースケとパンダの英語でスパイ大作戦』(幻冬舎・刊)がベストセラーになる(Amazon.co.jp総合部門第1位)。
→ニッポン放送「ブロードバンド・ジャパン」は、こちらからダウンロードしてご覧いただけます。山田真美が25分間、『ブースケとパンダ…』について熱く語ります。
2003年 ブースケ(シーズーの男の子)が家族の一員になる

生後3ヶ月目のブースケと私
2003年 取材のためギリシアを訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

レフカダ島にあるラフカディオ・ハーン
(日本名・小泉八雲)の生家前にて
2003年 日本蜘蛛学会会員。
2003年〜 国立天文台広報普及委員会委員。
2003年 英語攻略本シリーズ第2弾『ブースケとパンダの兄をたずねて三千里』(幻冬舎・刊)を上梓。
2003年 「第26回日本文化デザイン会議東京・六本木ヒルズ」において副議長を務める。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

(左より)議長でアーティストの日比野克彦さん、副議
長で精神科医の香山リカさん、私
2003年 日本ブータン芸術委員会理事。

(左より)来日中のブータン王妃ドルジ・ワンモ・ワン
チュック陛下と私(2004年撮影)
2003年〜 日本アルゼンチン協会会員。
2003年 小学館「和樂」の取材で、インド・ケララ州を訪ねる。

「和樂」2004年1月号 インド特集のトップページ
モデル/山田真美 撮影/森川昇
2003年 表千家不白流正師範・荒井宗羅師のもと、茶道を習う。
→入門3年後に行なわれたお点前デビューの様子はこちらから、雛祭りバイリンガル茶会の様子はこちらからお読みいただけます。
2003年 ベネチア・ビエンナーレで話題沸騰のオーストラリア人アーティスト、パトリシア・ピッチニーニ氏を取材、「月刊アルク」等に寄稿。

ピッチニーニ氏(左)と
2004年 『ブリタニカ国際年鑑2004』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2004年 東京藝術大学音楽学部教授・藤原睦子師のもと、三味線を習う。
2004年 日・豪・ニュージーランド協会会員。
2004年 小学館「和樂」の取材で、現代アートの巨匠ジェームズ・タレル氏と対談。

来日中のタレル氏と、直島地中美術館にて
2004年 パンダ(狆の女の子)が家族の一員になる。
→パンダがやって来た顛末記はこちらからお読みいただけます。
2004年 小学館「和樂」の取材で、ヒマラヤの旧王国ラダックを訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

古いストゥーパの前で(標高約3500m)
2004年 第14世ダライ・ラマ法王猊下に謁見し、「日本人と自殺」をテーマに単独インタビュー。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

法王と私(北インドのチベット亡命政府本部にて)
2004年 NHKハイビジョン特集「カウラの大脱走〜オーストラリア日本兵捕虜・60年目の証言」(110分番組)を立案、資料提供者として制作に協力する(2005年8月放送)。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2004年 第二次大戦中の日本軍によるダーウィン奇襲をテーマとしたドキュメンタリーTV番組(タイトル未定、60分番組)の制作に携わる(2005年オーストラリアにて放送予定)。

撮影中のひとコマ (右より)元帝国海軍一飛曹の
高原希國さん、私、カメラマンのジョンさん
2004年 父・鈴木寛が逝去(享年77歳)。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2004年 死」がテーマのノンフィクション『死との対話』(スパイス・刊)を上梓。
2005年 『ブリタニカ国際年鑑2005』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2005年 愛知万博(愛・地球博)オーストラリア館公式ガイドブック『日豪コネクションズ』(オーストラリア政府発行、和英バイリンガルブック、共著)に日豪関係のコラムを執筆。
2005年 取材のためオーストラリア北東部クイーンズランド州の熱帯雨林を訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

A day in the life of Mami Yamada
(LOL)
2005年 近代世界史上最大の戦争捕虜脱走事件をテーマとしたノンフィクション『ロスト・オフィサー』(スパイス・刊)を上梓。
2006年 『ブリタニカ国際年鑑2006』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2006年 バイリンガル育児の基本法則と実践的ノウハウを綴った『3歳までに英語の種をまきなさい』(スパイス・刊)を上梓。
→バイリンガル早期教育に関する私自身の体験はこちらからお読みいただけます(英語)。
2006年 「ダライ・ラマ法王14世誕生祭 チベット舞台芸術団東京公演」(主催/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)にて総合司会を務める(友情出演)。


TIPAのメンバーと(後列左端が私) 撮影/高橋宏幸
2006年 「チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス ギュト寺院僧侶による砂曼荼羅とバター彫刻の制作展」(主催/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所、後援/大本山護国寺、日印芸術研究所)を開催。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

パンフレット(クリックで拡大画面へ)
2006年 第14世ダライ・ラマ法王猊下に2年ぶりに謁見し、「第三次世界大戦を回避するために私たち一人一人にできること」をテーマに2度目の単独インタビュー。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2006年 弘法大師空海が日本に密教をもたらした年から数えて1200年目に当たる2006年、高野山大学大学院文学研究科修士課程密教学専攻(通信教育課程)に進学。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2006年 『死との対話』の中国語(繁体字)バージョンが『印度生死筆記』のタイトルで先覺出版(台湾)より出版される。
2006年 「第28回日本文化デザイン会議06inとくしま」において「黒川紀章氏×日比野克彦氏対談」の司会を務めるほか、サエキけんぞう氏らと「カフェトーク」に出演。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2006年 「NHK英語でしゃべらナイト」(アスコム・刊)12月号に、日本の一般的な中学生が3年間に学ぶ英単語だけを使って書き下ろした冒険ファンタジー“The Monday Monster”を一挙掲載。
2006年 日豪交流年記念シンポジウム「オーストラリア・ロングステイ」(主催/日・豪・ニュージーランド協会、後援/駐日オーストラリア大使館)においてパネリストを務める。
→当日の様子を報じた新聞記事はこちらからお読みいただけます。
2007年 『ブリタニカ国際年鑑2007』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2007年 作家として長年にわたりインドを日本に紹介してきた功績を認められ、インド国立文学アカデミー(Sahitya Akademi、英名India's National Academy of Letters)より世界で3人目となるドクター・アーナンダ・クマラスワミ・フェローシップを受ける。
2007年 宇宙作家クラブ(Space Authors Club)メンバー。
2007年 日印交流年公式事業「インド現代絵画展 INDIART 2007 TOKYO」(主催/インド国際芸術大学・日印芸術研究所、後援/外務省・駐日インド大使館・I.C.C.R.、於/上野の森美術館)実行委員会委員。
2007年 インド国立文学アカデミーのフェローとして2ヶ月間同国を訪問。全国の研究機関において『日本の文化と魂』『日本語と日本文学』『日本におけるサラスヴァティー(弁才天)信仰の歴史と現状』等のテーマでレクチャーを行なう。
→インド滞在中の日記「六十日間インド一周」はこちらからお読みいただけます。

インド国立文学アカデミーにおけるレクチャー前の歓談
風景(私の左はゴピ・チャンド・ナラング・アカデミー総裁)
2007年 “Wheel of Destiny”(Mudra Books・刊)がインドにて再出版される。ちなみに同作品は、娘のLiA(シドニー大学美術学部在学中)が表紙デザインを担当した母娘初のコラボ作品でもある。
2008年 『ブリタニカ国際年鑑2008』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2008年 信濃毎日新聞国際面に「目覚めた巨象インドの光と影」を連載。
2008年 日印交流年公式事業「山田真美文化講演会 目覚めた巨象インドの躍進 ― 英語・数学・道徳教育に見るインド繁栄のこれだけの理由」が開催される。
→広報ちらしはこちらからご覧いただけます。
2008年〜 真言宗豊山派安養院のニューズレターに『インドへの道』、金剛院のウェブサイトに『仏教一年生』をそれぞれ連載。
→『仏教一年生』はこちらからお読みいただけます。
2008年 南インド・ケララ州にて開催のインド最大のマジック大会“Vismayam 2008”に日本からの文化大使として招待される。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2008年 「第30回日本文化デザイン会議」において「スピーチ曼荼羅〜リレートーク」に出演
→詳細はこちらからお読みいただけます。
2008年 日本テレビの2時間ドラマ『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった〜カウラ捕虜収容所からの大脱走』に制作協力。

撮影所にて主演の小泉孝太郎さんと
2008年 取材のためスコットランドを訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

首都エジンバラにて
2008年 第5代ブータン国王ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク陛下の戴冠式に臨席するためブータン王国を訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。

ブータン王国史上初の民選首相ジグメ・ティンレー閣下
と会見
2008年 第10回図書館総合展「Library of the Year」基調講演会講師(後援/文部科学省、国立国会図書館、国立公文書館ほか)。
2009年 『ブリタニカ国際年鑑2009』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2009年 高野山大学大学院修士課程を修了し、修士(密教学)の学位を修得。修士論文のテーマは「仏教国チベットへの宗教弾圧の歴史―ダライ・ラマの宗教と政治」。
→学位記授与式の様子はこちらからお読みいただけます。

学位記を掲げて記念撮影
2009年 「皆既日食を楽しむ会」(種子島にて開催)実行委員会委員。
→詳細はこちらからお読みいただけます
2009年 第17回「ナマステ・インディア」(共催/インド大使館、インド文化交流評議会、後援/外務省、東京都、日印協会他)にて「神々が選んだ国インド――面白すぎる超時空神話をたずねて」 のテーマで講演。
→詳細はこちらからお読みいただけます
2009年 長野市一日消防長を務める。
→詳細はこちらからお読みいただけます
2009年 第11回図書館総合展「Library of the Year」基調講演会講師。『「オタク」の時代の図書館経営』のタイトルで講演し「オタク図書館」という造語を初めて発表(後援/文部科学省、国立国会図書館、国立公文書館ほか)。
2010年 『ブリタニカ国際年鑑2010』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2010年 この世に生を受けて半世紀を迎える。
→詳細はこちらからお読みいただけます
2010年〜 財団法人日印協会の理事に就任。
※2010年11月より協会の名称が公益財団法人日印協会に変更となりました。
→就任のご挨拶はこちらからお読みいただけます
2010年 第18回「ナマステ・インディア」(共催/インド大使館、インド文化交流評議会、後援/外務省、東京都、日印協会他)にて「神々が選んだ国インド(2)―500人の魔法使いから教わったこと」 のテーマで講演。
→詳細はこちらからお読みいただけます
2011年 『ブリタニカ国際年鑑2011』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
2011年 カウラ事件を博士論文にまとめるため、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科(博士課程後期)に進学。

お茶の水女子大学大学院入学式にて
2011年〜 日本オセアニア学会会員。
2011年 「魔法少女ジニア 日印友好マジックツァー2011」をプロデュース(主催:日印芸術研究所、後援:在日インド大使館/公益財団法人日印協会他)。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
 下記リンクからはマジックショーのハイライト部分をご覧いただけます
2011年 第19回「ナマステ・インディア」(共催/インド大使館、インド文化交流評議会、後援/外務省、東京都、日印協会他)にて「神々が選んだ国インド(3)―インドマジックで津波被災地の子どもたちに笑顔を!」 のテーマで講演。
2011年 日本オ−ラル・ヒストリー学会会員。
2011年 取材のため南アフリカ共和国を訪ねる。
→詳細はこちらからお読みいただけます。
   
アフリカ大陸の最南西端・喜望峰にて
2012年 『ブリタニカ国際年鑑2012』のインドの内政・経済・外交記事を翻訳・執筆担当。
 2012年 現代図書館情報学シリーズ(全12巻)第11巻『図書・図書館史』(樹村房・刊、共著)のうちの2章(インドならびにイスラムの図書館の歴史)を執筆担当。
   
2012年(予定) 「2012日豪親善カウラ・ヘイ捕虜収容所跡地訪問団」に団長として参加。
2012年(予定) 誕生から半世紀が過ぎたことを記念して、初の和英バイリンガル本『マミリン語録 The Words of Mami Yamada』(日印芸術研究所・刊)を上梓(限定500冊、1冊ごとにナンバー入り)。
2013年(予定) 弘法大師空海を描いた小説を出版。
近未来(予定) カタカリ劇「The Tale of Urashima Taro」をプロデュース(脚本も担当)

その他
各国の大学、公官庁、国際交流基金、ロータリークラブ、企業研修会などでの講演会多数(使用言語=日本語、英語)。
国立天文台広報普及委員会委員、長野県景観審議会委員、長野県環境基本政策専門委員、長野県道路整備地方懇談会メンバー、ふるさとNAGANO応援団メンバーなどを歴任。
国際植生学会(2000年開催)をはじめとする国際会議における英語通訳、ならびに、各国のVIP(大臣、知事クラス)の専属通訳としての経験豊富。
全インドマジックコンテスト審査員、全インド日本語弁論大会決勝大会審査員、デリー大学ジーザス&メリー・カレッジ社会学部弁論大会審査員、ニューデリー・アメリカンスクール高等部ディベート・コンテスト審査員、サントリー・ミステリー大賞読者賞選考委員、日本ケーブルテレビ歌謡大賞審査員などを歴任。


オーストラリア関係のトークショーにて(1986年)

インド関係の講演会にて(1997年)

趣味
旅(アドベンチャー系)、スキューバ・ダイビング、ウィンド・サーフィン(TVコマーシャル出演経験あり)、スキー、少林寺拳法、外国語学習(ヘブライ語、マラヤラム語、チベット語など)、茶道、三味線、天体観測、音楽鑑賞、能楽鑑賞、遊園地・オモチャ屋さんめぐりなど。

冒険好きが嵩じてアクロバット飛行にも挑戦

グレート・バリア・リーフでダイビング

おまけ

奥信濃の山小屋にてペットの梟(パリパリ)と
\
奥信濃の山小屋にてペットの馬(ウマー)と