2006年7月


1日●100分の1のダメージ
巨大な高層ビルの最上階。フロアの中央部分は吹き抜けで、その周囲に細長い「ロ」の字型の通路があり、さらにその回りをぐるりと囲むように全部で100の部屋が並んでいる。高級マンションなのだろうか、それぞれの部屋は広く豪華な造りで、まるでファイブスター・ホテルのようなイメージだ。つい最近、この場所を大地震(あるいはテロを含む別の災害?)が襲ったらしく、フロアの角の1室だけが壊滅的な被害を受けている。その部屋だけは壁が崩れ、床は壊れ、家具調度品はすべて焼け爛(ただ)れて、どう見ても修復不能な状態だ。フロアには大勢の人々が集まっている。どうやら彼らは全員、このフロアの部屋を買った人たちのようだ。私もこのフロアの一室を買ったらしく、ほかの人々と一緒に集結している。不思議なことに、同じフロアにある100室のうち被害を受けたのは角の1室だけで、他の99室には何のダメージもない。また、被害を受けた角部屋のオーナーは皆から嫌われている人物らしく、彼に同情する人もいない。今日は残り99室のオーナーが集まって、この建物を取り壊すべきか、大規模な修繕をすべきかで協議しているらしい。和気藹々とした雰囲気。専門家による建物の強度検査が行なわれているあいだ、私は他の住民と世間話をしていた。そのなかに、少し細身で眼鏡をかけた、とても感じのいい55歳前後の男性が混ざっていたような気がする(但し彼と何を話したのかは思い出せない)。検査の結果、この建物は現状のまま使っても全く問題なしとの結論が出た。私たちは、壊れた角部屋を放置したままの状態でこのビルを使い続けることにした。

【解説】 大災害が襲ったというのに、同じフロアにある100室のうち99室は無傷で、1室だけが壊滅的な被害を受けるという、現実ではまず考えられないシチュエーションの夢。夢に現われた人々がおしなべて親睦的で、最初から最後までのどかな雰囲気だったのも不思議なことだ。この夢は信州の山小屋で見た。



2日●絶世の美女の芸能界デビューを企てる
20歳前後の若い女性達が7〜8人集まって、音楽の話をしている。私も何故かそこに居合わせている。私は最近のミュージック・シーンが全くわからない。「全然わからないから教えて」と言うと、彼女たちは親切に色々なことを教えてくれた。しかし、そこに登場するミュージシャンの名前にまるで聞き覚えがない。「私たちが若い頃は日本人なら誰でも知ってる歌手がいたけれど、今はそういう人っていないの?」と聞くと、逆に「その頃の日本人が誰でも知っていた有名歌手って誰だったんですか?」と聞き返されてしまった。咄嗟に私が「例えば○○とか、郷ひろみとか」と答えると、皆が納得したように頷いてくれた。彼女達のひとりが「今の日本で一番有名な歌手はアユコですよ」と言った。私は「へー、そうなんだ?」と答えながら内心は(アユコって聞いたことないわ)と思っている。別のひとりが「こうやって新しい情報を積極的に取り込もうとするところが、真美さんの長所よ」と言ってくれたが、よく見るとその人は若い女性ではなく、知人のM子さん(推定年齢55歳)だった。場面が変わり、デパートあるいは博覧会会場のようなところ。通路を歩いていると、25歳ぐらいの絶世の美女に出会った。顔はもとよりスタイルも抜群の、まさに楊貴妃クラスの美女である。中国人かなと思いながら話しかけてみると、日本人だった。名前を尋ねると、「△△です」との答え。聞いたことのない珍しい名前なのでもう一度聞き返したところ、今度はようやく聞き取ることが出来た。出身地を聞くと「アキです」と言う。どうやら「安芸の宮島」の安芸らしい。そのあと、すっかり仲良くなった私たちは手をつないで通路を歩いていた。私は彼女を芸能界デビューさせようと思っている。何か理由があって彼女と一旦別れ、ひとりになった私がさらに歩いて行くと、審査会のような場面に遭遇した。審査員は男性ばかり7〜8人で、私の知人も混ざっていたようだ。彼らに絶世の美女の話をすると、皆が口々に「逢いたい」「紹介してくれ」と言う。私は微笑みながらも、心のなかで(この男性達では力不足だ。彼女にはもっと強力なスポンサーを探してあげなくては)と思う。建物の中を暫く歩いて行くと、再び彼女と合流した。気がつくと日が暮れかかっている。夕食を食べようという話になり、何を食べたいかと尋ねると、彼女は高層ビルの窓から見えているネオンを指差しながら「あれは日本一大きな仁丹塔のネオンサインだそうです。あの近くで食事がしたい」と答えた。高層ビルから外に出て見ると、そこは見覚えのある風景だ。長野駅前の東急百貨店に通じる道らしい(但し実際の長野駅周辺の風景とは似ても似つかない)。その道を歩いているうちに目が覚めた。

【解説】 この夢の前に、もうひとり別の美女と逢ったような気がするのだが、詳細は思い出せない。今夜の夢は、前半と後半のストーリーは異なるものの「芸能界に関係した夢」という点で共通していたようだ。また、夢の中で何度も「人の名前を尋ねていた」ことも印象的だった。「○○」と「△△」は夢の中ではハッキリと聞き取れたのだが、目が覚めてみると思い出せない。いずれにしても、現実世界には見たこともないような美女に逢えた今夜の夢は、吉兆のイメージが残るものだった。



3日●細長い一本の道
目の前に、左右に伸びた一本の細長い道が見える。その道は、ちょうど短距離走に使われる競技用トラックのように、白線で何列かのレーンに区切られている。しかし、ここにある道は走るためのものではないらしい。道はどこまでも長く伸びており、一番先のほうは靄がかかったようにぼんやり霞んでいる。私から見て左側に伸びている道はおそらく「過去」で、右側に向かって伸びている道は「未来」ではないかと思う。右の先のほうに光が降り注いでいるのが見える。辺りに人けはなく、深閑と静まり返っている。私はちょうど道の真ん中辺りの、レーンの外側にいて、遥かに続く道を眺めている。
【解説】 目が覚めてから思ったのは、夢の中に現われた長いトラックは「人生という名の一本の道」ではなかったかということだ。夢の中の私は一人ぽっちで、さりとて淋しいわけでもなく、辺り一面を包み込んだ静謐と神秘の気配のなかに静かに佇んでいた。そして、一旦足を止めてレーンの外側に出て、自分の過去と未来を冷静に見渡していたような気がする。現実世界でも、今年は自分の人生をゆっくり見直し、行く手(=人生の目的地)を見据える1年になっている。その現実がよく表現された夢だったように思う。この夢も山小屋で見た。



4日●美しい目をした宇宙人
とても印象的で美しい大きな目が見える。目の持ち主は宇宙人のように見えた。夢の画面の右のほうには、縦に青い光が走っている。場面が変わって、某大手出版社に勤務するKさん(男性編集者)が目の前に現われ、少しシニカルな微笑みを浮かべながら何か秘密情報を教えてくれたような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 今夜の夢に具体的なストーリーがあったことは間違いないのだが、北朝鮮のテポドン発射事件を知らせる知人からの早朝の電話で起こされたため、目が覚めた瞬間に夢の内容を忘れてしまった。この夢も山小屋で見た。



5日●グルメな友達に塩分を控えるよう勧める
気がつくと見知らぬ町にいた。夢の中に流れている音声ニュース(?)によれば、ここは以前4年間ほど住んだことのある長野市の某所であるという。すぐ目の前に、民家の1階部分が見えている。階段の裾の部分が見えるので、どうやらこの家は2階建てらしい。ニュースの女性の声が、「ここは加山雄三さんの生家です。加山さんと言えば、そのルーツはフランク永井さんにあり……」と説明しているのだが、加山雄三さんとして画面に映った顔写真は、どう見ても男友達のTさんだった。場面が変わって、大きな歩道橋。どうやら目黒か五反田あたりらしいのだが、実際の風景とは全く違っている。私はTさん夫妻と一緒に歩道橋の上を歩いている。Tさんは心臓が悪いようだが、おそらく本人はそのことに気づいていない。そして、塩分の強い天婦羅が大好きで、毎日食べずにはいられないようだ。「少し塩分を控えたほうがいいのではありませんか」と勧めてみたが、Tさんはまるで聞く耳を持たず、「塩がたっぷりきいているほうが天婦羅は美味いんですよ」と言って憚らない。私はTさんがじきに心臓発作を起こして呆気なく亡くなることを知っている。後に遺される痩せた夫人が気の毒だと思う。
【解説】 最初は何やら意味不明で、最後は物騒なエンディングの夢だった。Tさんは友達で、大変なグルメであり健啖家。体格も良く、見た目は健康そのものだ。今夜の物騒な夢には、一体どういう意味があるのだろう。なお、加山雄三さんとフランク永井さんは言うまでもなく昭和を代表する歌手だが、加山雄三さんのルーツがフランク永井さんにあるなどという話は、現実世界では聞いたことがない。



6日●未知の街へのバス旅行
気がついたとき、私は見知らぬ異国の街でバスに乗っていた。手にはバスのルートマップらしき地図。どうやらここはオーストラリアのシドニーあたりらしいのだが、実際の風景とはまるで違っている。姿は見えないが近くに女友達のプル(テレビ脚本家)がいるらしく、私は彼女にバスのルートについて何か尋ねている。あるいは彼女とは携帯電話で話したのかも知れない。バスは全ての目的地まで同一料金で行けるようだ。ルートマップに、まだ1度も行ったことのない遠方の街の名前が書かれていた。私はそこへ行ってみようと思う。そのあと何が起こったのか全く覚えていないのだが、次に気づいたとき、私はバスを下りて歩き出そうとしていた。ほかにも大勢の人がバスを降りたような気がする。少し離れた前方には高層ビルらしきものが見える。私の右隣には老人がいて、その人は私の知人のようだ。彼は私よりも背が低く痩せていて、眼鏡をかけていたような気もする。老人は足が悪いらしい。私は彼と腕を組んで杖の代わりになった。そのことで老人から感謝されている。老人の横顔を見ながら私は、(この人は理系の研究者か、それに類似する知的職業に携わっていたに違いない)と思っている。
【解説】 私はかなり頻繁に乗り物に乗る夢を見る。統計を取ってみたところ、2004年は45回、2005年には62回も「乗り物に乗る夢」を見ている。自分がいかに「移動する生活」を送っているかが如実に表われた数字だと思う。今夜の夢の舞台はシドニーらしいのだが、現実のシドニーとは風景が全く異なっていた。この、「知っている場所という設定でありながら、現実の風景とはまるで違っている」というパターンの夢も非常に多い。今月に入ってから見た6つの夢だけを見ても、2日の夢(長野駅前の東急百貨店に通じる道らしいが実際の風景とは似ても似つかない)と、5日の夢(目黒か五反田あたりらしいが実際の風景とは全く違っている)、そして今夜の夢がまさにそのパターンだった。これは一体どういう意味を持っているのだろうか。この夢も山小屋で見た。



7日●紙にたくさん「Baka」と書きなぐる
自宅のリビングルームのような部屋(但し実際の自宅とはまるで様子が違っている)。娘の姿が見えるほか、母がいる気配もする。女性ばかりが何人かいるようだ。そこへ一人の客がやって来た。彼女は40前後のふっくらした女性で、パッチリした目が可愛い。或る女優さんにそっくりなのだが、肝心の女優さんの名前が思い出せない。あるいは、家にやって来た客は女優本人なのかも知れない。客は、私とも私の家族とも特に親しくない関係なのだが、妙に馴れ馴れしいというか、遠慮というものがない。すべての会話に口をはさみ、果てしなくお喋りをし、大声をあげて笑うので、それまで静かに仕事をしていた私はペースを乱されてイライラしている。イライラしながらも仕事を続け、どうやら予定より1日早く仕事のノルマをこなしたようだ。仕事を終えた私がのんびりしていると、客が私に向かって「さっきまで忙しい忙しいと言っていたのに、のんびりしてる。本当は全然忙しくなかったんでしょ。真美さんの嘘つき、嘘つき」と茶々を入れ始めた。本人は冗談のつもりなのかも知れないが、その言い方があまりにもウザイ。遂に堪忍袋の緒がブチ切れた私は、客に向かって「うるさい、黙れ。バーカ、バーカ」などと言い出した。何度も何度も「バーカ、バーカ」を繰り返していると、客はさすがにしょげたような顔つきで隣の部屋へ行ってしまった。それでもムシャクシャが治まらない私は、今度は白い紙の上に何度も「Baka」「Baka」「Baka」と筆記体で書きなぐった。何度も書いているうちに字がうまくなってきて、我ながら上手な字だと思う。「Baka」と書いているうちに少しは気持ちが治まってきたのだろう、そのうちに手が勝手に動いて、今度は色々な英単語を書き連ね始めた。それらが何という単語だったかはハッキリと覚えていないのだが、最後に書いたのは「Coincidence」という文字だった。自分が書いた字をつくづく眺めながら、(Coincidence? 一体何が“偶然の一致”なのだろう?)と思ったところでちょうど目覚まし時計が鳴り、夢から覚めてしまった。
【解説】 今夜はたくさんの夢を見たような気がする。しかしハッキリと内容を覚えているのは、起き掛けに見た上記の夢だけだ。夢の中の私は無神経な客に対してひどく立腹しており、まるで小学校低学年の子どものような方法で、その怒りを爆発させていた(笑)。どうせ書くならローマ字の「Baka」ではなく日本語の「バカ」にすれば良さそうなものだが、夢の中の私は何故か筆記体のローマ字にこだわっており、延々と「Baka」と書き連ねていた。この夢も信州の山小屋で見た。



8日●4人目の子どもを非難される女性
母が私に最近の事件について説明している。夢の中の私は海外に住んでいるかネットの繋がらない環境にいるようで、日本の最新ニュースを知らないという設定のようだ。母が言うには、ある凶悪事件に巻き込まれた日本人女性が、犯人の子どもを4人も産んだらしい。被害者の日本人女性は、よくニュースで見る顔だ。「4人目の子どもを産んだことが、世間の反感を買っているみたいよ」と母が解説してくれた。私は心のなかで(それじゃあ、3人までなら犯人の子どもを産んでも良いの?)と首を傾げている。
【解説】 またしても意味のわからない夢。この夢の直後に外国人(?)が登場する面白い夢を見たような気がするのだが、詳細は思い出せない。この夢は一時帰宅した東京の家で見た。



9日●怖い動物園
私は動物園に来ているらしい。連れ(母あるいは娘?)がいるようだが、その姿は最初から最後まで見えない。動物園とはいうものの、その建物は学校またはオフィスのようなデザインで、全体がドーナツ型なのか、全部の部屋を歩くとぐるりと回って最初の場所に帰ってくるようだ。建物の中でたくさんの動物を見たような気がするが、それがどんな動物だったかは思い出せない。ただ、可愛い生き物は1匹もいなかったように思う。楽しいムードは欠片もなく、何か恐ろしい状況が待ち受けているようなイメージ。最後の場面で、目の前に2匹の動物が現われた。1匹は身の毛もよだつほど恐ろしい生き物(但しトラやライオンの類ではない)で、もう1匹は獰猛な動物に従属している目つきの悪い犬だ。2匹とも人間のように2本足歩行をしていたような気がする。私は悪いことが起こる前にこの場から逃げようとしている。
【解説】 今夜は明け方に斜め向かい側のビルで火災が起こり、大変な数の消防車のサイレン音で叩き起こされてしまった。火事を起こしたビルの窓からは赤い炎が噴き上げ、一帯には黒い煙がもうもうと立ち込めて、朝の4時だというのにかなりの数の人が現場付近に集まっていたのには驚いた。そんな恐ろしい光景を見てから再び眠りにつき、その直後に見たのがこの夢である。当然のことながら、とても疲れる夢だった。



10日●……
【解説】 私にしては珍しく、今夜は何ら夢を見た記憶がない。昨夜は都内で行なわれたTIPA(チベット舞台芸術団)東京公演の司会をし、リハーサル、本番、打ち上げパーティーと目まぐるしく過ぎた。そのためか、今夜はまさに“死んだように”ぐっすり眠ったような気がする。夢を見た記憶がないのは、そのためかも知れない。


11日●エレベーターの中で繰り広げられる芝居
エレベーターのなか。数人の日本人が乗り合わせている。0歳児を連れた女性が1階で降りようとするが、何か理由があって降りるのをやめる。2階では誰も降りない。3階では私立名門幼稚園に通う男の子が降りる。4階では知的障害のある小学校高学年の男の子が降りるのだが、何が嬉しいのか、降りる前にエレベーターの中を所狭しと跳び歩いてしまう。そのことに立腹したひとりの女性が怒鳴っている。私は男の子を庇(かば)って女性に強く抗議している。私自身は5階以上の階に用事がある。以上のことは、どうやらすべて脚本に基づいた芝居らしい。私達全員はまったく同じ内容のことを、もう一度繰り返そうとしている。
【解説】 またしても不可思議な夢。1階でエレベーターに乗り、昇ってゆく間に小さな事件が起こるのだが、それはあくまでも脚本に基づいた芝居で、私たちはもう一度同じことを繰り返そうとしているのだ。これはおそらく昨夜のTIPA(チベット舞台芸術団)による公演で、リハーサルと本番を繰り返したことが影響しているのではないかと思う。この夢は信州の山小屋に帰ってすぐの晩に見た。



12日●蝶の乱舞
目が覚めるほど美しい青いアゲハ蝶が群舞している。以前オーストラリアのクイーンズランド州で見た幻のユリシーズに似ていると思う。その瞬間、私は子どもの頃に読んだ『蝶のいる丘』という小説を思い出し、ドーム型の図書室(どうやらここは私専用の書庫らしい)に入って本を探し始めた。図書室には夥しい数の蔵書があって、それらはすべて子どもの頃に読んだ懐かしい本ばかりだ。久しく目にしていなかった本ばかりだが、こんなところに隠れていたのかと思い、私は古い本たちとの再会を喜んでいる。この夢のあと、何か別のストーリー展開があったような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 昨日は母、娘、姪を連れて軽井沢までドライブした。夢に現われたドーム型の図書室は、軽井沢で訪れた「絵本の森美術館」の図書館だと思われる。『蝶のいる丘』は小学生の時に友達から借りて読んだ本のタイトル。作者の名前すら忘れてしまったが、確か被爆した少女が亡くなるまでを描いた悲しい作品で、ジャンルはおそらく少女小説だったのではないかと思う。絶版になったのだろう、今はもう入手することが不可能のようだ。そう言えば、小学4年生ぐらいだった私にこの本を教えてくれたK子ちゃんという名の同級生は、途中でどこかへ転校してしまったが、ほんの少し病弱でとても優しい少女だった。K子ちゃんは今頃どこでどうしているのだろう。この夢を見たことで、急に遠い昔を想い出した。この夢も山小屋で見た。

【後日談@】 夢から覚めた私が寝室から出て書斎に入ったところ、目の前をオオムラサキがふわりと横切ったのには驚いた。この蝶は、どうやら夜のうちに窓の隙間から書斎に入り込んでしまったものらしい。しかも、彼女と合流したいのか、窓の外では彼氏(?)が部屋に入ろうと必死で舞っている。窓を開けてやったところ、すぐに外にいた彼氏が部屋に舞い込んできて、彼女と一緒にぐるぐる回りながら10秒ほど舞ったあと、そのまま一緒に外へ出て行った。これまであまり蝶の夢を見たことがないだけに、現実とのシンクロは不思議である。この夢も信州の山小屋で見た。ちなみにオオムラサキは日本の国蝶です。
【後日談A】 オオムラサキが部屋から出て行ったあと、メールをチェックしたところ、小学校時代の同級生S君からメールが届いていた。S君からメールをもらうのはこれが2度目で、約1年半ぶりのことだ。メールの内容は、最近転勤になったS君の新しい職場に、私の中学高校時代の後輩だったA美ちゃんがいるという話だ。それを読んで、またしても「あっ」と驚いてしまった。何故ならば、私は中学時代にA美ちゃんから『フレンズ』というタイトルの文庫本を借り、それを不注意で紛失してしまったことがあるのだ。あのときA美ちゃんは、「いいですよ、気にしないでください」と笑ってくれたが、私はひたすら謝りながら彼女に書籍代を弁償した記憶がある。これまでの人生の中で、借りた本を紛失してしまったのはあれが最初で最後の経験だった。そんなわけで、A美ちゃんという名前を聞くと真っ先にその事件を思い出す私なのだ。久々のS君からのメールがA美ちゃんの話だったことと、今夜の夢に子ども時代の懐かしい本ばかりがたくさん現われたことも、実に奇妙な一致である。



13日●夢の中で夢日記を付ける
(夢の中で)私は立て続けに3つの夢を見ている。起きてすぐに、それらの夢をノートに書き出そうとするのだが、3つの夢のうちの1つをどうしても思い出せない。さてどんな夢だったろうと思い出そうとしているところで目が覚めた。
【解説】 夢の中で夢を見て、それを夢日記に付けようとしている夢。まるでお芝居の「劇中劇」のような夢だった。ただし、今夜の夢の中で見た夢がどんな内容だったかは、少しも思い出せない。この夢も山小屋で見た。



14日●物理学開眼と大混雑のスーパーマーケット
学校か研究所のような場所(ただし、周囲にも人がいるのかどうか定かではない)。3つの試験が続けて行なわれる。最初に行なわれた試験は数学で、実に難しい。やはり数学は私に向いていないと思う。2つめの試験は国語(?)またはその他の文系科目で、結果は楽勝だった。3つ目の試験は物理で、これもかなりの高得点になりそうだ。やはり物理と数学は根本的に全く異なる学問なのだと実感する。理論物理は公式よりもイマジネーション(想像力)を必要とする学問なので、自分には向いているのだ。これからは数学は諦めて、理論物理学に専心しようと思う。場面が変わり、どこか西洋の先進国にあるらしいスーパーマーケット。建物の中は恐ろしく混雑しており、買い物かごを提げた人々が押し合いへし合い、まさに東京のラッシュアワー時の電車の中のような状況である。私には同行者がふたりいる。夫と、姿の見えない誰か(白人女性?)のようだ。私たちが何を買おうとしているのかはよくわからないが、高級チョコレートが見えたような気がする。(金曜日はさすがに混雑がひどいわね)と心の中で思っている私。このあと何か大事な用事があった(または、どこか別の場所へ行った)ような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 今夜の夢の中で、私は物理の試験問題を難なく解いていた。それも、数式を使わずにイマジネーションで解くという極めてアインシュタイン的(?)なアプローチの方法で(※聞くところによるとアインシュタインは数学が苦手だったそうである)。実はこのところ、現実世界で仏教の経典を読む機会が多いのだが、読むうちにふと、(仏教には理論物理学的な発想法が多いのではないか?)と感じることがままある。そんな気持ちが今夜の夢には投影されたのかも知れない。大混雑するスーパーの夢を見た理由は謎。この夢も山小屋で見た。



15日●広島への一泊旅行
高速バスの乗り場。このバスで私は西日本のどこか(おそらく広島)へ行くことになったらしい。ほかにも10数人の乗客が乗っているが、そのなかに知った顔はない。東京から広島までは遠いので、バスの旅はかなりきつそうだ。しかし暫く揺れている間に、バスは意外なほど呆気なく広島に到着してしまった。今は夕方で、じきに夜になるらしい。乗って来たのは普通の高速バスのはずだが、降車した後も乗客全員はひとかたまりになったまま、若い女性の案内係(バスには乗っていなかったのでバスガイドではない)の後ろについて歩いている。彼女は和装関係の会社の人のようで、両腕にたくさんの資料を抱え、忙しそうに歩きながら何か説明している(何を言っているのかわからないが、広島とは無関係な話題らしい)。私達はもうすぐ解散し、自由行動に移ることになっている。私はここ広島で一泊し、明日のバスで再び東京へトンボ返りするつもりだ。東京を出るときに急いでいたので、私は現金を全く持って来なかった。辛うじてカードは持って出たので、カードで決済できるホテルに泊まり、食事をしようと思う。バスを降りた場所のすぐ近くに、かなり大きなお寺(または神社?)が見える。私が広島へ来た目的は、そのお寺を見学することのようだ。この街には大学の先輩で現在は会社経営者のMさん(男性)が住んでいらっしゃるようだ。Mさんに電話をすれば一晩ぐらい泊めてくれるだろうが、他人様の家では色々と気を使うだろう。結局、Mさんに連絡を取るのはやめてしまった。そのあと、ホテルを探すために繁華街のほうへ向かって歩き出したところで目が覚めた。
【解説】 夢の中で行った場所は確かに広島だったはずなのだが、夢から覚めて時間が経ってみると、(あれは本当に広島だったのだろうか)と微妙に怪しくなってきた。なにしろ夢に現われたのは、私が知っている広島とは似ても似つかぬ風景だったのだ。大学時代のM先輩を夢で思い出したのも不思議な話である。M先輩とは、私自身の結婚式でお会いしたのが最後で、かれこれ23年も昔のこと。しかも先輩は広島ではなく札幌に住んでいらっしゃる。せっかく広島まで行ったというのに現金すら持っていないなど、全体に何となく不完全燃焼な夢であった。この夢も山小屋で見た。



16日●川に落ちたブースケ
山小屋から歩いてすぐのところにある川。目の前にブースケとパンダ(※飼っている小型犬の名前)の姿が見える。ブースケが面白そうに川を覗き込んでいる。あまり川に近づいては危ないと思った瞬間、パンダがいきなり走って行ってブースケに体当たりし、その勢いでブースケは川に落ちてしまった。私は急いで下流のほうへ走って行き、急な流れの中に飛び込んで必死でブースケを助けようとしている。
【解説】 最近の日本を騒がせているニュースのひとつに、「秋田小1男児殺人事件」がある。近所に住む小1の男の子を殺した犯人(33歳の女性)が、実は自分の娘のことも川に落とし死なせていたことが昨日になって判明、改めてニュースになっていた。幼い子どもを川に落とすという残酷極まりない話を聞いて、なんとも言えない嫌な気分になったのは言うまでもないが、と同時に、(これから真夏に向けて水の事故が増えそうだ)などと思っていたので、その気持ちがそのまま夢に現われたようである。なお現実世界では、散歩中のブースケには必ずリードを着けているので、川に落ちる心配はない。この夢も山小屋で見た。



17日●バッグ紛失と外から丸見えの更衣室
高級デパートの売り場。店員はひとり残らず女性で、若くはないが優雅でハイソな感じの美女ばかりだ。私は何かを買うことにしたらしい(あるいは同じ階にある美容室へ行こうとしているのかも知れない)。そのためには、持ち物をカウンターへ預ける必要があるようだ。私は持っていた黒いバックをカウンターに預けた。バッグを受け取った店員は、美女の誉れ高いRさんである。Rさんと私が短い会話をしている間に、Rさんの背後を別の友達(やはり美人で知られるH美さん)が、いかにも店員らしいビジネス・スマイルを浮かべ通り過ぎていった。このほかにも、店内では複数の女友達が働いていたような気がする。そのあと私が何か用事を済ませ(美容院に行ったのかも知れない)、預けたバッグを取りに戻ってみると、なんとバッグがなくなってしまっている。RさんとH美さんは既に帰宅してしまったらしい。預けたバッグには、財布(カードや家の鍵を含む)、日記、携帯電話、その他諸々、大切なものばかりが入っているのだ。私は大急ぎでそのへんを捜索するのだが、探し物は見つからない。店員たちは「申し訳ありません。探してみます」などと口では言うものの、まるで緊迫感がない。私ひとりが焦っている。ひとりの店員が時々目の前に現われて何か言うのだが、その店員は子どもの頃友達だったY美さんに似ている。彼女は、微笑みながら目の前を行ったり来たりするだけで、ほとんど何の仕事もしてくれない。私はますます焦りながら、デパートの屋上のゴミ箱の中まで探している。そうこうしている内に、前後関係は良くわからないのだが、どこかから黒いコートのようなものが現われ、その影に隠れていたバッグ(先刻なくした物とは別の、パプアニューギニアの民芸品のような肩掛けのバッグ)が現われた。しかも肩掛けバッグの中には、なくしたバッグに入れておいた貴重品のほとんどが入っているではないか。どうやら、紛失した黒いバッグに現在入っている物は、空っぽの財布とハンカチだけらしい(財布に入っていたキャッシュ、カード、鍵などは、既に肩掛けバッグのほうに移動しており無事)。ほっと安堵した私は、再び店員のところへ戻り、「黒いバッグを返して頂くのは明日でも構いませんから」と告げている。このあと、さらにもう一つ何かを紛失したような気がするのだが、そちらはさほど重要な物ではなかったようだ。場面が変わり、インドらしき場所。埃っぽい大地が続いており、100メートルほど前方に平屋建ての大きな建物が見える。建物は更衣室で、その先には遊泳用プールがあるらしい。私はプールで泳ごうとしているようだ。着替えをするために更衣室を目指して歩くのだが、何故か両足が石のように重い。わずか100メートルの距離がひどく遠いものに感じられる。周囲には大勢の人が歩いていて、その中には高校時代の同級生の姿も見える。更衣室は個室だが、すべての個室の前には長蛇の列が出来ている。同級生の誰かが「これじゃ当分は中へ入れないわね?」と悲鳴を上げている。しかし、人の流れは思ったより速く進み、最後は意外なほどあっさりと更衣室の前に辿り着くことが出来た。出来たものの、個室にはなんと壁がなく、代わりに鉄格子が嵌まっているだけだ。つまり、着替えているところが外から丸見えの状態なのである。さすがはインドだと思う。大勢のインド人男性が、物珍しそうにこちらを見ている。私は青い鉄格子の嵌まった更衣室に入ると、どこからともなく現われたチベット風の5色の布で出来たシャツのようなものを首に掛け、まるで照る照る坊主のような姿になって、布の下に隠れるようにして着替えを済ませた。場面が変わって、プールの中。水が妙に生温かい。そこは高い建物の屋上にあって、周囲の街を見下ろせる場所だ。プールはインド人で混雑しており、私のすぐ横にはひとりの男性がいる。どこかで見たことのある顔だと思うが、誰なのかは思い出せない。このプールには何か規則があるらしく、隣にいる人の肩に自分の水着の肩紐を掛けてあげなくてはいけないらしい。私は自分の肩紐を指差しながら男に英語で何か話しかけるのだが、彼は軽く微笑んだだけで返事もしない。私が諦めて“OK. Let's do it later.”と答えたところで、いきなり夢から覚めた。
【解説】 何やら疲れる夢だった。特に夢の冒頭で、大事な物が入った黒いバッグ(現実には持っていない品である)を紛失したときは、冗談抜きで焦りまくっていた。後半のプールの場面も、歩こうとする足が石のように重かったり、外から丸見えの更衣室で苦労の末に着替えるなど、どうにも奇妙な夢だった。なお、デパートの店員として登場したRさんは、日本とヨーロッパのハーフで、若い頃はモデルさんとして活躍していた長身美女。頭脳明晰な女性で、現在は都内で大学教授をしていらっしゃる(50歳近いというのに相変わらず超絶な美人である)。同じ場面に登場したH美さんもアクティブな美女(複数の会社の女社長さん)で、ふたりとも大好きな女友達だ。このほかに登場した複数の“昔の同級生”も、ひとり残らず目がパッチリした綺麗な女性ばかりだった。

【後日談】 この夢を見た約1時間後、夫が私に「済まないけど今パソコンを開けないから、僕のメールをチェックしておいてくれないかな」と言った。夫のアカウントに入りメールをチェックしたところ、彼の友達(いかにもインド人らしい男性名)から1通のメールが届いていた。その人の名前を見た瞬間、私は反射的にその人の顔を思い出して「あっ」と驚いていた。何故ならば、夢の最後にプールで逢った人は、間違いなくこのメールの主だったからである。メールを寄こした人は、インド在住中に夫がよく面倒を見ていた現地の若手アーティストで、私は2〜3度顔を見たことがあるだけだ。そのため彼の顔はうろ覚えだったし、印象も極めて薄く、正直なところ今日までその存在すら忘れていた。そんな相手が突如として夢に現われ、しかもその直後にメールまで読むことになろうとは。これは一体、単なる偶然なのか。それとも何かのメッセージなのだろうか。暫く様子を見ようと思う。


18日●軍人と尼僧
駅の構内のように見えるが線路も列車も見えない不思議な場所。そこはコンクリートで作られた極めて簡素な建物で、上下両方向に向かって安普請な階段(非常階段のようなデザイン)がどこまでも伸びている。突然、目の前にひとりの軍人が現われた。軍人は目が大きく、立派なカイゼル髭を生やした男で、元帥クラスらしい。彼は私に国家の一大事に関わるような重要なことを告げる(但しその内容はどうしても思い出せない)。戦争を手伝うよう要請されたのかも知れない。簡単に要件を告げただけで、軍人は階段を下りて行った。暫く考えた後、私はハッキリときびすを返して目の前の階段を(軍人とは反対に)登り始めた。一体どのぐらい登ったのだろう、気がついたとき、私は地上に辿り着いていた。眩しい太陽の光を目にして初めて、自分が今まで地下にいたことを知る。すぐ目の前には長屋のような平屋建ての家があって、そのまわりではインド人らしき子ども達が遊んでいる。マザー・テレサのような服装の女性が地面に座り、子ども達の世話をしている姿が見えたので、近づいてみると、その人はマザー・テレサではなく義姉だった。尼僧姿の義姉は初めて見たが、普段の服装よりもこの方がずっと彼女に似合っていると思う。スラムのような街の中を元気に走り回る明るい子ども達を目で追いながら、私は(戦争回避のために自分に出来ることは、すべてやってみよう)と心に誓った。
【解説】 今夜の夢には「軍人」と「尼僧」という全く相反する二つの存在が現われた。私は軍人から一種の選択を迫られるのだが、彼には背を向けて尼僧がいる場所のほうを選んでいた。このところ、何かと世界がキナ臭い。ミサイルを飛ばしたり核実験をしたり他国の領地を侵害し合う姿を見ていると、人類が地球上で最も高等な頭脳を持った生物だとは到底思えるわけがない。むしろ、こんな愚かで傲慢で暴力的な生き物は地球始まって以来だろう。巷では第三次世界大戦を危惧する声も聞かれるが、こういうときにこそ人間の本当の価値観が試されるのだと思う。私は暴力には加担しない。そんな強いメッセージが込もった夢だったと思う。この夢は東京の家に戻って見た。



19日●社交辞令
私は軽井沢に滞在しているらしい。ごく近い未来(数日以内?)に何かイベントを主催することになっているのだが、明日はさほど親しくない男友達の○○さんと逢うことになっている。というのも、○○さんの伯父さんと伯母さんが、私に一目会うために軽井沢までやって来るからだ。私は心のなかで(こんな忙しいときに社交辞令で人に逢うのはツライ)と思っているのだが、さすがにそうは言えないので、明日は短時間だけ○○さんの伯父さん伯母さんと逢うことにした。ところが、この直後に何かがあって、○○さんの伯父伯母は軽井沢へは来ないことになった。正直なところホッとしている私。
【解説】 今夜の夢の前にも、何やら複雑で長いストーリーがあったはずなのだが、何故か思い出すことが出来ない。ちなみに○○さんは男友達のひとりだが、彼の伯父さん伯母さんに心当たりはない。この夢も東京で見た。



20日●過去からの来客
千年の時を超えて、ひとりの客が過去からやって来た。その人の性別はわからないが、おそらく日本人で、職業は貴族、あるいは貴族に仕えた人のような気がする。文化的なことに極めて造詣が深いようだ。その人は、何かを私にバトンタッチするために時の流れを旅して来たらしい。私は何かを受け取るために、客のほうへ近づいてゆく。
【解説】 これとよく似た夢を、何年か前にも見た記憶がある。そのときは、青っぽい光を放つトンネルのようなところから平安時代の装束の女性(ただし顔は見えない)が現われて、形のない何か(知識のようなもの)を私に手渡してきた。今夜の夢では、来客の顔は見えたのだが目覚めてみると性別さえ定かでない。前回の夢に現われた人と同一人物なのかどうか、それもわからない。



21日●謙虚な苦労人のお坊さん
或る名刹の若いお坊さんであるIさんが、何かの理由で寺を代表して表彰されることになった。Iさんは、「私のような若輩者が表彰されてしまっても宜しいのでしょうか」と言いながら、しきりに躊躇している。私は心のなかで(Iさんは人格者だから、きっと立派なお坊さんに成長するだろう。この時期に表彰する必要は特にないが、かと言って、Iさんは賞をもらうことによって心が変わってしまうような人ではないのだから、Iさんを表彰したい人は表彰すればいいのではないか)と思っている。
【解説】 Iさんは現実世界でも友達のお坊さん(日本人)。今どき珍しいほど謙虚な人で、いわゆる苦労人だ。傍から見ていてもその苦労ぶりがよくわかるので、夢の中で思わず表彰してあげたくなったのかも知れない。



22日●両手の皺で文字を書く
気がつくと目の前に娘がいた。彼女は両手を組んで、その手を透明な色紙の上に強く押し付けている。「紙を裏側から見て」と言うので、私が紙を裏返してみると、たった今娘が手を置いた場所にハッキリと文字が浮き出しているではないか。文字は日本語だがどことなくチベット語にも似たデザインで、「やりたいことは本気でやれ」と読めた。娘に「凄いじゃない。どうやってこれを書いたの?」と聞くと、娘は「両手を固く組んだときに出来る皺の形を利用して文字を作れるようになったので、手をスタンプ代わりにして紙に印刷しただけよ。その紙を裏側から見ると文字が読めるでしょ」と答えた。そのあと娘がどこかへ出かけて行ったので、私は自分の右手と左手を合わせて皺で文字を作ろうとしてみる。しかし、なかなかうまくいかない。娘が帰ってきたら秘法を教えてもらおうと思う。
【解説】 今夜はこの夢を見る前にも、どこか知らない場所(外国?)へ行って不思議な体験をする長い夢を見たように思うのだが、残念ながら詳しい内容を思い出すことが出来ない。



23日●水遊びに行ったまま帰らない息子
息子がH君と一緒に水遊びに出かけて行った。ふたりは小学校の3〜4年生らしい(※現実世界ではふたりとも高校生)。ふたりの帰りが遅いので、心配になった私はほうぼうを探し回っている。水遊びに行ったまま帰らないということは、ふたりは溺れてしまったのではないだろうか。強烈な不安が頭をもたげ、たまらなくなった私は息子を探して東奔西走している。しかし息子達の姿はどこにも見当たらない。そのうちに日が暮れて、夜になってしまったようだ。不安で胸が張り裂けそうな想い。するとそのとき突然、目の前に息子とH君の“現在”が写った写真が浮かび上がって見えた。それによると、ふたりは水遊びには行っておらず、どこか全く別の場所で楽しそうに遊んでいるらしい。安堵のあまり、私の全身から一気に力が抜けた。このあと、何か全く別の夢を見たような気がするのだが、その内容は思い出せない。
【解説】 昨日は、美術館を経営しておられる年上の女性と「死」についてお話する機会があった。その際、私は自分がパプアニューギニアで溺れ死にかかったときの様子を克明にお話した。おそらくこのときの会話が、今夜の夢の原因だろうと思われる。これ以外にも、昨今は水にまつわる事故や事件(娘を川に突き落として殺した母親の案件)など、恐ろしい話が多過ぎる。そのようなことが全て混ざり合った結果として、今夜の夢を見たのかも知れない。夢の中で息子の無事な姿を見たときは、安堵のあまり文字通り全身から脱力してしまった。
【後日談】 夢から醒めた約1時間後、夢日記も付け終えた私がコーヒーを飲みながらパソコンに向かって仕事をしていると、オーストラリアから一時帰国中の娘が起きてきて、いきなり「今日は怖い夢を見た」と言った。どんな夢だったのかと問うたところ、自分と父親(=my husband)が一緒に歩いていたところ、急に鉄砲水(?)が出て溺れる夢だという。私と娘の夢とはよくシンクロするのだが、今夜も双方の夢の中で家族が溺れていたとは、どうにも物騒な話である。娘の夢の中でも、最後はふたりとも無事に助かったらしいが、今月の16日には私の夢の中で愛犬のブースケが川に落ちて溺れているし、どうもこのところ溺れる夢が多すぎる。何かの警告かも知れないので、この夏の水遊びは自粛しようと思う。



24日●蒼い空と吉祥模様
雲ひとつない爽やかな蒼い空。見上げると、建物の庇の先に付いた飾りなのだろうか、円形の吉祥模様のようなものがいくつも並んでいる。それを見て私は(いいことがありそうだ)と思っている。
【解説】 この前後にもストーリーがあったのかも知れないが、何故かこの場面しか思い出せない。素晴らしく澄んだ空の青と、いくつも並んだ円形の吉祥模様だけが印象に残る夢だった。現実世界では今月22日から護国寺で「チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス」を開催している(私は主催者側のひとり)。今夜の夢に現われた吉祥模様は、砂曼荼羅に描かれる吉祥模様に似ていたかも知れない。



25日●美しい男性
目の前に、とても美しい男性が立っている。その人は背が高く、見た目はスラリとした体形だがよく見ると筋肉質で、骨格がしっかりしている。最も印象的なのは、意志の強そうな大きな目と、綺麗に通った鼻筋だ。この人が若き日のお釈迦様であることを私は知っているが、そのことについては黙っていることにした。すぐそばに、私のほかにも複数の人がいるらしいのだが、彼らの姿は全く見えない。やがて、この美しい男性の案内で、私達は悟りの世界に向けて歩き出した。
【解説】 夢の中とは言えお釈迦様が現われ、しかも悟りの世界へ案内していただくとは、何という吉夢だろうか。今日は朝からいいことがありそうだ。



26日●シドニータワーに向かって透明なチューブを歩く
見知らぬ外国の町。私のまわりには複数の外国人がいるらしい。俳優のジャン・レノに似た風貌の男性が、「○○(レストランの名前?)へ食事をしに行こう」と言っている。私達は一旦別れ、それぞれ身支度を済ませた後に再び落ち合った。すると何故かメンバーが入れ替わっており、現われたのはジャン・レノ似の男性とは別の寡黙な白人男性と、少々口うるさい感じがする痩せて背の高い白人女性だった。彼らは私の友達ではなく、おそらく仕事がらみの付き合いで、しかも今日初めて逢った相手のようだ。私達3人は連れ立って食事に向かうのだが、その道中というのが、細長い空中回廊のような場所を延々と歩くのである。歩く順番は、先頭が寡黙な男性、2番目が口うるさい女性、3人目が私。回廊の途中には駅の改札口にある検札機のような機械があって、そこに近づくと、例の白人女性が「機械の正しい通り方」について口うるさく指示を出してきた。私は心のなかで(最初の予定では、こんな場所を通る計画ではなかったのでは?)と思いながらも、黙って2人のあとに従っている。細長い空中回廊には透明のドーム型屋根が付いており、全体がチューブのような形だ。なかなか宇宙的なデザインである。かなり前方にシドニータワーらしき建物が見えてきた。(ここはシドニーだったの?)と思いながら、私はさらに足早に歩いている。
【解説】 今夜の夢にはあまりストーリー性がなく、私は口うるさい女性から何か指示を受けながら、ただただ無言で歩いていた。現実世界では、“冬休み”で1ヶ月ほど日本に帰国していた娘が、昨日シドニーに帰って行った。おそらくそのことが今夜の夢に影響しているものと思われる。ちなみに、夢の最後に登場したシドニータワーとはこんな形の建物です。



27日●ヒマラヤにて
早足で歩く自分の足元が見える。未舗装の険しい山道。路傍にはためく五色の旗。風の色がやわらかい。ここはヒマラヤの山奥だ。酸素が薄いはずなのに、何故か、とても気分がいい。体調は絶好調だ。このすぐ先に峠があるらしい。峠に着いたらバター茶を飲もうと思い、私は歩く速度をさらに速めた。
【解説】 現実世界では、今月22日から「チベット砂曼荼羅ライブ・パフォーマンス」を開催しているため、このところ毎日のように会場である護国寺に赴いて、チベットの仏教観にどっぷり浸かっている。朝から晩までそんな調子なので、私の頭の中は目下ヒマラヤ一色。そのことが今夜の夢には素直に反映されたようである。



28日●……
【解説】 今夜は夢を見たことは確かなのだが、その内容をすっかり忘れてしまった。現実世界ではここ数日仕事がいくつも重なってしまい、かなり忙しい日々(しかも神経を使うことの多い)が続いた。夢の内容を忘れてしまったのは、おそらくそのあたりが原因だろう。



29日●全神経を集中させる7日間
私には、何か成し遂げなければならないことがある。それが何なのかはよくわからないが、それを完遂するために与えられた時間は7日間だ。所要時間が7日より短くなっても長くなっても、都合が悪いらしい。私は神経を集中し、7日間という決められた時間に全力投球している。
【解説】 今夜の夢の中で自分が何をしていたのか、具体的なことは思い出せないのだが、7日間という時間が過ぎてゆく「時の経過の感覚」だけはハッキリと残っている。つまり今夜の夢は、感覚的にはかなり長い夢だったようなのだ。全神経を集中したためか、目覚めた時点ではやや疲労感が残っていた。


30日●アフロへアのカツラをかぶったお坊さんたち
気がつくと目の前にチベットのお坊さん達が並んでいた。お経を上げているときの厳かな顔とは打って変わって、今日の彼らは天真爛漫にはしゃいでいる。しかもおかしなことに、彼らは全員がピンクや水色といったパステルカラーのアフロへアのカツラをかぶり、両手でVサインを出してワイワイ騒いでいるのである。私は心のなかで(何事が起こったのか?)と不審に思いながら、とりあえずカメラを構えてお坊さん達の写真を撮ろうとしている。
【解説】 今夜の夢にはもう少し長い前置きがあったような気がするのだが、覚えているのはこの場面だけである。22日から開催していた「チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス」は、30日に無事終了した。この間毎日顔を合わせていたお坊さんたちとも、明日からお別れだ。しかしお別れの夢にしては、お坊さん達がアフロへアのカツラ(しかもパステルカラー)を着用しているなど、なんとも賑やかな内容であった



31日●砂の海を泳ぐ
どこまでも果てしなく続く砂の海。私はそのなかで泳いでいる。全身が恍惚とするような、解き放たれてゆくような感覚。この砂の一粒一粒は、先頃チベットのお坊さん達が作った砂曼荼羅の砂なのだと思う。卒然、自分の目が顕微鏡のようになって、砂の結晶がいきなりクローズアップして見えた。クリスタルのように透明な輝き。いつしか私は、砂の海をどこまでも渡って、まだ誰も見たことのない遠い場所まで辿り着いていた。

【解説】 今夜の夢は、夢というよりも、音のない詩のような静謐の世界だった。見ているだけで癒されるような、自浄作用があるような、実に不思議な夢だった。





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