2024年8月21日(第707号)
今週のテーマ: カウラ事件80周年+豪州の真珠湾ことダーウィンへ |
★新刊出版のおしらせ:
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★英語版『ロスト・オフィサー』サイト立ち上げのおしらせ:
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去る8月5日、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州カウラ市において開催されたカウラ事件80周年記念式典に参加してまいりました。
カウラへ出向くのは、75周年記念式典が行なわれた2019年以来、5年ぶりとなります。
本来ならば今回も、「最後のカウラサバイバー」こと村上輝夫さんとご一緒に出席したかったのですが、残念なことに村上さんは2023年、生まれ故郷であり人生のほとんどを過ごされた鳥取市にて、ご家族に看取られ103歳にて大往生を遂げられました。
そのため今回の式典は、史上初めての、実際に捕虜だった元日本兵が一人もいない集まりとなりました。
その意味で、今回の記念式典は、これまでとは明らかに「軸」の異なる、ターニング・ポイント的な集会になったような気がします。 |

8月5日のNHK全国ニュースに、村上輝夫さんの
御遺影を抱えた私の姿が一瞬写ったそうです。
ご覧になった方々からご連絡いただきました。
村上さんの顔写真の大きさがリアル・サイズ
だったため、ご本人かと勘違いされた方もいた
ようですが、あくまでも御遺影です。念のため。 |
今回、カウラから姿を消したのは元日本兵だけではありません。
日印友好のシンボルとして知られるカウラ日本庭園の生みの親で、日本文化センターの会長を務めたドン・キブラ―(本名はドナルド・キブラ―)さんも、今年4月に他界。
私の世代にとってはカウラの象徴のような人物だったキブラ―さんの不在も、村上さんの不在と同様に大きな時代の変化を感じさせるものでした。 |

カウラでお世話になったドン・キブラ―さん、ならびに
カウラ事件研究者だったマリオン・スターさんの
お墓にお参り。 お墓の位置がわからず、マリオンさん
の娘さん(右から2人目=デールさん)にご案内
いただいているところ。左は村上さんとの旅に常に
同行してくださった「助さん・格さん」こと唄淳二さん
(左から2人目)と吉光徹雄さん(左端)。 |
なお、80周年記念式典を仕切られたのは、昨年9月に就任されたばかりの新しい市長さんでした。
お名前はルース・フェイガン(Ruth Fagan)さん。女性です。
ファーガン市長は今年の4月、前市長、副市長、総務部長と4人で来日なさっています。
その際には私にもお声がかかり、市長の隣のお席で夕食をいただく機会を得ました。
2時間ほど親しくお喋りをする中で、大変気さくで決断力のある方とお見受けしました。
さて、今回の記念式典では、これまでの慣例どおり、メインの8月5日に先駆けた8月4日の夜に、市長主催ディナーが催されました。
私は過去にも何度か市長主催ディナーに出席させていただきましたが、今年のそれは、これまでとはだいぶ趣の異なる集まりになったな、というのが率直な感想でした。
前回までは小さな会場で、せいぜい100人程度のゲストが招かれるだけのごく内輪な感じの会だったのですが、今回は、巨大な会場にたくさんのテーブルが並び、キャンベラなど他都市から何時間もかけて大型バスでやってきた人々も大勢いて、大半が初めてお会いする人であるという印象を受けました。
なかでも特筆すべきは、ディナー前に行なわれたスピーチの中で、主催者であるカウラ市長が長時間をかけてカウラ事件の概要について微に入り細に入り説明なさったことです。
カウラ事件の発生から今日に至るまでの経緯を、それは丁寧に説明なさっていたのが、印象的であり、また衝撃的でもありました。
このことから想像するに、今回の出席者のうち、かなりの人数の人々がカウラ事件の内容をご存じないのではないでしょうか。そうでなければ、市長があれほど時間をかけて事件の説明をする必要はありませんから。
つまり、こういうことです。
前回の記念式典までは、出席者は数少なく、しかもそのほとんどは事件をよく知る人々だった。
しかし今回からは、出席者数が増え、しかも事件を知らない人々が増えた。
誤解を恐れずに言えば、カウラ事件はこれまでの「内輪」な事件から、「公」な事件へとシフトし始めたのではないか。これが、一カウラ研究者として事件を見守ってきた私の実感です。
カウラをめぐる状況も、カウラ事件研究をめぐる状況も、一つの大きなターニングポイントに来ている。今回、強くそう感じました。
私は研究者ですので、自分がこの世から去った後も、次の世代の人々のために情報をわかりやすく残しておく義務があります。
今回、"The Lost Officer"(『ロスト・オフィサー』英語版)をお気軽に読んでいただくためのサイトを立ち上げ、11月末から運用を予定していますが、その目的はまさしく、後から事件について知ろうとする若い世代に正しく情報伝達すること。
時間をかけて少しずつコンテンツを充実させ、大勢の人に活用してもらえるサイトに育てていきたいと思いますので、応援をよろしくお願いいたします。 |
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さて、今回のオーストラリア行きには、カウラ詣で以外にもう一つ大きな目的がありました。
オーストラリア最北の地、つまり赤道に最も近い灼熱の地であるダーウィンの町を訪問することです。 |

ダーウィンからアラフラ海を望む。この先は赤道。
パプア・ニュー・ギニアがすぐそこです。 |
ご存知でしょうか、ダーウィン。
おそらくほとんどの方は、名前さえ聞いたことがないのでは?
実は、ダーウィンはオーストラリアのパール・ハーバー(真珠湾)と呼ばれ、歴史的に重要な意味を秘めた場所なのです。
第二次大戦中の1942(昭和17)年2月19日、大日本帝國海軍はダーウィンに対して大規模な空襲を二度に分けて敢行しました。
これによりオーストラリア側は236人が戦死。300~400人が負傷したとされます。
ちなみに日本側の指揮官は南雲忠一、山口多聞、淵田美津雄の各氏でした。
実は、この空襲の4日前、つまり2月15日、九七式大艇の偵察電信員として敵陣の視察に出た若者がいました。
若者の名は高原希國(たかはら・まれくに)。
顔にまだ幼さの残る海軍一飛曹です。
以下、高原氏の高著『カウラ物語』(私家本、1987年出版)を参照させていただきます。
途中までは守備良好だった偵察任務でしたが、不意に敵のスピットファイヤ(戦闘機)に絡まれ、相撃ちとなり、高原とその仲間は愛機ごとアラフラ海に墜落。
話が長くなるので詳細は割愛しますが、その後オーストラリア軍の捕虜になった彼は、高田一郎の偽名を名乗るようになります。
いくつかの収容所を経てカウラに移送された高原は、やがて1944年8月5日、運命の日を迎えます。
「週マ」読者の皆さんはご存知のように、私がカウラ事件研究を始めた当初、さまざまな情報をくださったのが高原さんでした。拙著『ロスト・オフィサー』においても、士官と下士官・兵をつなぐ重要な役どころで登場します。
その人が墜落したアラフラ海を、一度この目で見てみたい!
そんな積年の願いがついに叶い、今回のダーウィン行きとなった次第です。
もう一つ、ダーウィンを訪ねてみたかった大きな理由の一つは、ここの航空博物館には豊島一(捕虜としての偽名は南忠男)が捕虜になる直前に乗っていた零戦が展示されていると聞いたから。
豊島は、オーストラリアに捉えられた日本人捕虜第一号。
カウラ事件発生時には、突撃ラッパを吹いて先陣を切り、敵の弾丸により死亡しました。
その人が乗っていた零戦が今もダーウィンに保管されているというのです。
カウラ事件研究者として一度は行ってみたいと、長年夢見ていたわけです。 |

ダーウィンの航空博物館(Aviation Museum)
に展示された、豊島一(捕虜としての偽名は
南忠男)が乗っていた零戦。

豊島機はダーウィン空襲作戦中にエンジン
トラブルを起こして、メルヴィル島に不時着。
その後、豊島はアボリジニに囚われて豪軍の
捕虜に。彼の零戦の残骸の近くに立つと、
懐かしいような不思議な気分になりました。

ダーウィン空襲について書かれた碑文。

空襲犠牲者の氏名が刻まれた碑。

日本軍の爆撃で石油貯蔵庫が破壊され、
極秘裏で掘られたオイル貯蔵用トンネル。
複数掘られたうち何本かが一般公開中。

石油貯蔵庫として作られたトンネル。
一番奥まで歩いて見学できます。

アラフラ海の日没。左に立っているのが
助さん格さんこと唄さんと吉光さん。
座っているのは友人(オーストラリア
の軍人さん)と私。 |
というわけで、何十年来の夢だったダーウィンを訪ねることができました。
この次に訪ねるときは、定期船に乗ってメルヴィル島へ渡り、豊島一が墜落した地点まで行ってみたい。
そんな、新たな目標が生まれた今回のダーウィン行きでした。
このあとはシドニーに戻り、ニュー・サウス・ウェールズ大学に留学してマッコウクジラの回遊を研究していた頃にお世話になったホストファミリーと再会。
オーストラリアの「母」や「姉妹」たちと、これ以上ないほど楽しい時間を過ごすことができました。 |

右から順に、次女、五女、母、長女、私。
残念ながらホストファーザーは鬼籍に。
三女と四女は仕事が休めず欠席。

私の希望で、オーストラリアを代表する絵本作家
メイ・ギブス(故人)のご自宅を改装した素敵な
カフェでランチいたしました。

オーストラリアの母。私が23歳だった
ときからずっと、クリスマスカードを
贈り合っているんですよ♪

長女とは年齢が近く、何時間でも
話し込みます。今日は三女と四女
が不在でした。全員と会えるときに
再度訪問しなければ! |
……というわけで駆け足になってしまいましたが、以上、オーストラリア訪問のハイライト部分をご紹介させていただきました。
長文を読んでくださってありがとうございました!
カウラ事件80周年記念式典につきましては、また、どこかにじっくりと書かせていただきたいと思います。
まだまだ暑さが続きますね。
お体に気をつけて、夏の余韻を一滴残らずお楽しみくださいませ。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のクースケ&ピアノ、ときどきニワトリ∪・ω・∪

人口調整のため、今シーズンはヒヨコを1羽
だけ増やしました。左は生後すぐ、右は生後
1か月半(同じ個体です)。
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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