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2013年12月11日号(第497号
今週のテーマ:
年末カウントダウン:ヘボン博士の巻
★ 仏教エッセイ ★
『仏教一年生』は、『仏教二年生』と改題して近々新スタートの予定です。暫くお待ちくださいませ。
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 師走に入り、怒涛の日々が始まりました。暫くのあいだ「週マ」はクリスマスと忘年会の話題一色になるかと思われますが、時節柄、何卒お許しくださいませ♪

 先週末は明治学院の同窓会であるヘボンクラブのクリスマス午餐会に出席。1年ぶりに会う同窓生たちと賛美歌を歌い、聖歌隊の歌やピアノ演奏に耳を傾け、昼食をいただいて心穏やかな時を過ごしてまいりました。

 明治学院の前身は「ヘボン塾」といい、そこの創設者がヘボン式ローマ字で有名なジェームズ・カーティス・ヘボン博士です。博士のお名前からとって、同窓会の名前も「ヘボンクラブ(英語表記はHepburn Club)」と申します。
 
例年どおり広尾の「シェ・モルチェ」を借り切って開催されたヘボンクラブのクリスマス午餐会




今年も私は魚料理をお願いしました。飲み物はシャンパンと赤ワイン(ピノノワール)



お隣の席は、紐やロープの便利な結び方をわかりやすく伝える「結びの伝道師」として著書も多い
小暮幹雄さん(明学卒)。ボーイスカウト出身の紳士で大変な教養人です。[写真提供:小暮さん]
 さて、ヘボン博士ら外国人宣教師が活躍なさっていた頃、東京近郊の外国人居留地といえば言うまでもなく横浜でした。その横浜にある 「横浜開港資料館」では、現在、『宣教医ヘボン』なる企画展が開催されているとのこと……。

 折角なので横浜まで足を延ばしてみることにしました。

 以前も「週マ」に書きましたが、ヘボン博士はアメリカ合衆国から来日なさったプロテスタント(長老派)の宣教師で、高名なお医者さまでもありました(専門は眼科)。

ヘボンさんでも 草津の湯でも 恋の病は治りゃせぬ

都都逸(どどいつ)に謳われたというエピソードから推察するに、博士のお名前は日本の庶民の間でかなり広く知れ渡っていたのでは?

 ちなみに1862年(文久2年)に有名な生麦事件が起こった際、ヘボン博士は薩摩藩士に斬られたイギリス人の治療にも当たっておられます。

 博士はこのほかヘボン式ローマ字を考案し、日本初の和英辞典を編纂。さらにクララ夫人と共に創設したヘボン塾(明治学院の前身)は、のちに高橋是清(第20代内閣総理大臣)をはじめとする傑出した人物を複数輩出しています。

 ヘボン博士はまさに日本の近代化を推し進めた代表的な外国人の一人と言えるでしょう。
 
「宣教医ヘボン」展開催中の横浜開港資料館にて(会期は今月27日まで)



ヘボン博士夫妻が暮らした洋館を再現したジオラマ(横浜開港資料館別館収蔵)。ご覧のとおり
「お寺のようなデザインの洋館」だったようです。和洋折衷、あるいは擬洋風建築でしょうか?
 横浜開港資料館からさらに10分ほど歩くと、旧ヘボン邸跡地にたどり着きます。かつてこの一帯には洋館が建ち並び、多くの外国人が居留していたそうですが、今は横浜地方合同庁舎の建物前に小さな記念碑が建っているだけ。

 現状から当時の風景を想像することは不可能で、その意味では、最初に開港資料館でジオラマと当時の写真を見て、その次に跡地を訪ねるという見学コースは大正解でした。

 記念碑の写真を撮っているうちにすっかり日も暮れてしまいました。
 お腹もすいてきたので、最後は吸い寄せられるようにして中華街へGO!

横浜中華街のクリスマスツリー



星の数ほどある中華料理店の中から直感で選んだお店に入りました。
地ビールの「横浜ビール」(ピルスナー)はなかなかのお味♪






中華街での夕食(上から2列目左端の「上海蟹」が→その右の写真では既に解体されています(笑))
 ヘボン博士について色々と考えた1日の終わりに、横浜中華街で上海蟹をいただきながらふと思ったこと。

 明治時代の初頭、日本人の牛肉・豚肉消費量はヨーロッパ人やアメリカ人の50分の1とか、その程度であったと記憶しております。要は、日本人の中に食肉文化というものがまだ根付いていなかったわけです。

 そうした環境のなか、ヘボン博士をはじめとする外国人は一体どのような食事を召し上がっておられたのでしょう。

 ワインのように長期保存の出来るものは本国から運んで来たとしても、それ以外の食材はどこで手に入れていらっしゃったのでしょうか。食器はどんな物を使っていたのでしょう。

 当時のメニューが手に入れば面白いですね。
 宣教師というお立場上、おそらくかなりの素食だったのではないかと想像されますが。

 その頃の在日外国人の生活に興味がわいてきましたので、暇を見つけてしかるべき資料に当たってみたいと思います。ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


鶏小屋の前でポーズを取るご夫妻
(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2013年12月11日
山田 真美
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