2005年1月15日号(第160号)
今週のテーマ:平和は歩いて来ない |
今日で松の内も終わり。皆さん、お屠蘇気分は完全に抜けたでしょうか。
今週の私は、カウラ事件の関係者にお逢いするため日本国内を旅しておりました。
これまでにも何度か「週刊マミ自身」でご紹介しましたから、ご存知の方も多いかと思いますが、カウラ事件とは、第二次世界大戦中の1944年8月5日にオーストラリア内陸部の小さな町カウラで起こった、世界最大の捕虜脱走事件のこと。
脱走した当事者は、全員が旧日本軍の下士官と兵たちです。
囚人服のような赤いユニフォームを着せられた1,104人の日本人捕虜が一斉に暴動を起こした、まさに驚天動地のこの事件は、現地オーストラリアでは“Cowra Breakout”の名で、今も広く知られています。
しかし事件を起こした日本側はと言えば、戦後60年が経った今もなお、関係者のなんと80%までが、いまだにその事実をひた隠しにしたままなのです。
事件当時、捕虜となっていた日本人下士官・兵は、合計1,104人。この暴動による死亡者は231名、負傷者は108名。
つまり、捕虜のうち873人は生き残った計算になりますが、戦後、戦友会に当たるカウラ会を組織した人々の話によれば、生き残った捕虜の約80%は捕虜であった事実を恥と考え、カウラ会への参加を拒否。
「捕虜だったことは妻にも子ども達にも話していない。どうか、もう二度と連絡してこないで欲しい」と仰る方も少なくなかったというのです。
そのために、事件の真相の多くは今なお藪の中であり、その意味でカウラ事件は太平洋戦争最大のミステリーのひとつと呼んでも過言ではないでしょう。
今週は、そうしたカウラ関係者のうち、陸軍の将校だったBさんらと幸いにもお目にかかり、歴史的にたいへん貴重なお話の数々を伺うことが出来ました。
※史上最大の捕虜脱走事件である「カウラ事件」の概要や、なぜ私がカウラ事件を調査しているのかといった経緯については、こちらからご覧ください。 |

静岡県の某所にて。(左より)元
海軍将校Aさんの娘さん、元陸
軍将校のBさん、私 |
カウラ事件については、これまでにも複数のジャーナリスト、作家、歴史家らが調査研究し、多くの素晴らしい本を著していらっしゃいます。
その中で私が疑問に思うのは、カウラに収容されていた時の将校、即ち少尉以上の武官たちの証言が、いずれの本の中でもほとんど紹介されていないということ。
言うまでもなく、日本は上下の序列が重んじられる典型的な縦社会です。
なかでもとりわけ厳しい上下関係があった軍隊の中で、何かことを起こそうとすれば、その時は必ず「上」にお伺いを立てたはずでは?
……そういった視点からもカウラ事件を調べなければと思いまして、昨年から独自に取材を続けてきたような次第です。
しかしそうは言っても、将校と言えば当時の日本では超エリートクラス。
下士官・兵とは比較にならない秘密主義にぶつかり、取材は決して容易には進みませんでした。
しかし、当たって砕けろの精神で取り組んでいたところ、この年末年始にかけて、幸いにも複数の元将校さんとお逢いすることができました。
敗戦60周年に当たる今年は、まずはこの本を世に出さなくてはと思っています。
私が生まれた1960年、日本の至るところには「安保反対」の声が吹き荒れていました。
昨年77歳で亡くなった父は、普段はデモの類には全く縁のない人でしたが、この時ばかりは率先して安保反対のデモに加わったそうです。
「何があっても絶対に子どもたちを戦争に巻き込んではいけないと強く思ったからだ」と、父は言っていました。
戦争で青春を台無しにされた父の世代の気持ちを、私達は決して忘れてはいけないと思うのです。
このところ急速に右傾化しつつある日本に一石を投じるためにも、この本は絶対に書かなければならないと強く思っている次第です。
一人一人は微力ですが、その一人一人が出来る形で世界平和に貢献しなくては、ネ。
平和は努力して手に入れるものであって、そのへんに自然に生えているものでも、ましてや向こうから勝手に歩いて来るものでもないのですから。
そんなわけで来週も、取材、取材の1週間になりそうですよ♪
ところで今週は、仕事の合間を縫って浅草寺と |