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2019年12月31日(第636号

今週のテーマ:
台湾取材成功のご報告
 ご報告が遅くなってしまいましたが、12月中旬、台湾へ行ってまいりました。

 その目的は、カウラ事件を至近距離から目撃した台湾人元捕虜(ただし当時は日本国籍)で海軍の軍属だったSさん(92歳)を訪ね、当時のことでいくつか不明な点を質問させていただくこと。

 結論から申しますと、今回、期待していたより遥かに大きな収穫を得ることが出来ました。

 もう少し具体的に申しますと、事件に関する日本側の視点(暴動を起こした当事者の視点)ともオーストラリア側の視点(当時の敵国の視点)とも異なる、台湾人としての独自な立ち位置から見たカウラ事件について聞かせていただけたということです。

 その内容は、今後発表する論文または著書のなかに明記したいと思いますが、そのうちの最重要点だけをごく簡潔に申しますと、

(1) 一連の出来事は、「カウラ事件」と命名される前、つまり「計画の段階」では何という名前で呼ばれていたか。
(2) 捕虜たちのユニフォームはどのようなものであったのか(色、デザイン、材質、その他)。
(3) 台湾人軍属だった皆さんがたどった戦後

 以上の3点について、これまでの研究に欠けていた貴重な証言を得ることが出来ました。

 諸々の状況が許せば2020年にもSさんを再訪問し、さらに踏み込んだインタビューを行ないたいと考えております。

台湾人元捕虜(軍属)のSさんと、台湾の御自宅にて。



カウラ収容所でSさんが着用していた捕虜用のユニフォーム。
「赤く染めてあった」はずの捕虜ユニフォームですが、実際には
毎日の洗濯で色落ちし、地色(カーキ色)に戻っていました。



カウラ収容所でSさんが着用していた捕虜用の靴下。



捕虜ユニフォームは老朽化が進んでおり、触っただけで第二ボタンが
取れてしまいました。そのボタンを、Sさんから「記念に」と頂きました。
75年前の暴動を目撃したボタンです。宝物として一生大切にします。
 カウラ事件を実際に目撃した関係者への取材は、おそらくSさんへのインタビューが最後になるでしょう。

 最後まで真摯に、そして常識にとらわれず、本質を見つめて仕事を完遂したいと思います。
 
2019年最後の夜明け。強いエネルギーを感じます。
(信州の山小屋にて)
 いつも「週マ」をご高覧いただいている皆さま。
 2019年もお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

 来年の私は年女(しかも還暦)です。
 人生の新しい章への幕開けとなる予感がします。

 引き続き、楽しく、真剣に、そして健やかに参る所存ですので、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
 
 よいお年をお迎えください。
 ▼・ェ・▼今週のクースケ&ピアノ、ときどきニワトリ∪・ω・∪


雪の日のお散歩(山小屋の前庭にて)。

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2019年12月31日
山田 真美
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